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世界的アーティスト!Yoshikiをインスタグラムで紹介

世界的にも大活躍しているアーティストといえば!Yoshikiさんを思い描く人は多いのではないでしょうか?そんなYoshikiさんはインスタグラムを開設しており、現在フォロワー数は62万人を超える大変人気なインスタグラムとなっております。

今回はそんなYoshikiさんをインスタグラムを通して紹介していきたいと思います。それでは簡単なプロフィールからどうぞ!

Yoshikiとは?

本名:林佳樹
年齢:1965年11月20日(53歳)
身長:175cm
血液型:B型
出身:千葉県館山市
職業:アーティスト

1965年11月20日に、千葉県館山市の老舗呉服店を営むご家庭の2人兄弟の長男として生まれました。お父さんはジャズ・ピアノ、お母さんは三味線、叔母は琴の演奏を嗜むなど音楽的な一面があったのだとか。

また、お父さんは先代から家業を継ぐまでプロのタップ・ダンサーであったそうです。こいった家庭環境課からYoshikiさんの音楽センスの良さが磨かれたのでしょうね。現在マネージメントを行っているのは5つ歳の離れた弟さんで元俳優をやられていたの光樹さんなのだそうです。

幼少期は仕事で忙しいご両親に代わり、主に家政婦さんが兄弟の面倒を見ていたのだとか。4歳になるとお父さんからピアノを買い与えられて、自宅そばのピアノ教室でクラシック・ピアノのレッスンを受け始めたみたいですね。

日頃からお父さんが購入するクラシック音楽のレコードを好んで聴きいていたYoshikiさん。8歳の時にシューベルトの交響曲第8番ロ短調「未完成」とベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調「運命」が収録されたレコードを初めて自分のお小遣いで購入したのだとか。

病弱で重い小児喘息を患っていたために、小学校中学年になるまで頻繁に入退院を繰り返す生活を余儀なくされていたそうです。病室ではお父さんが見舞いに持参した子供向けの偉人伝を愛読し、とりわけ若くして難聴となりながらも数々の名曲を残したベートーヴェンの苦難の人生に対して強い興味を抱いたのですって。

音楽との関係

Yoshikiさんは9歳頃からピアノで作曲をはじめて、10歳から14歳まで学校のブラスバンド部でトランペットを担当したのだそうです。また中学から高校まではブラスバンド部と並行してサッカー部にも所属しており、司令塔のミッドフィールダーのポジションを担当していた。

毎年、誕生日には楽器を買い与えられることが恒例だったそうで、トランペットを始めたのも10歳の誕生日にお父さんから買ってもらったことがきっかけであったが、その翌年の8月にお父さんを自殺により亡くしてしまいました。34歳の若さであったそうです。

それまではクラシック音楽しか聴いていなかったがそうですが、行きつけのレコード店で偶然目にしたジャケットに惹かれて購入したキッスのシングル「ラヴ・ガン」と、お母さんに頼み連れていってもらったキッスの『ロックンロール・オーバー・ツアー』の日本武道館公演をきっかけにロックに魅了され、11歳でドラムスを始めたYoshikiさん。ちなみに、12歳でギターも始めたそうなのですが、細かい作業が性に合わず早々に手を引いたとのこと。

11歳で初めての4人組バンド「DYNAMITE」(メンバーは小学校の同級生2人と幼馴染みでギターが弾けたToshlさん)を結成。当初はドラムスとボーカルを担当し、近所の貸しスタジオでキッスの楽曲を練習して腕を磨いていたが、声変わりが遅く高声しか出すことができなかったため、中学校に進学後、新たに同級生をボーカルに迎え、ドラムスに専念することとし、バンド名も「NOISE」に改称して、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどの楽曲を演奏した。

より複雑なリズムを叩くため、14歳の誕生日にお母さんに頼んでダブル・ベースのドラムセットを手に入れたYoshikiさん、同じくダブル・ベースを使うレインボーを手本に練習を積んだ。中学校の体育館で開かれた予餞会で初めてのステージを踏み、高校進学後もNOISEとしてレッド・ツェッペリンやUFO、レインボーなどの楽曲を学校の文化祭などで演奏していたみたいですね。

X JAPANの誕生

1982年の夏に大学受験に専念するメンバーが離脱したNOISEを解散したそうです。当時はアイアン・メイデンのアルバム『鋼鉄の処女』や『キラーズ』に感化されており、ボーカルに転向したToshlさんと他校の生徒によるツインリードギター編成で、よりハードなロックを指向したバンド「X」(現在のX JAPAN)を新たに結成する。

Xでは既存の楽曲の演奏だけでなくオリジナル楽曲の作曲も始め(Xのために初めて作曲した楽曲「I’LL KILL YOU」は、1985年にXの1作目のシングルとしてリリースされている)、演奏のレパートリーを着実に増やしていった。

Xのレコードをリリースするため、1986年にインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」を設立します。1988年に同社よりリリースしたXの1作目のアルバム『Vanishing Vision』はオリコンの週間チャートで最高19位を記録して、インディーズ・レーベルの作品として日本のメジャー・チャートにランクインした初めてのアルバムとなりました。

翌1989年にXの2作目のアルバム『BLUE BLOOD』でCBSソニーからメジャー・デビューをみごと果たします!年末には日本有線大賞の最優秀新人賞、全日本有線放送大賞の最優秀新人賞、第4回日本ゴールドディスク大賞の最優秀新人賞などを受賞した。X JAPANの1993年のアルバム『ART OF LIFE』からはバンドのプロデューサーも担っているというから才能の豊かさが現れていますよね。

まとめ

いかがでしたか?

今回はYoshikiさんの経歴について触れましたが、色々と苦難を乗り越え今の地位に君臨するYoshikiさんは流石!という一言に尽きます!

そんなYoshikiさんのインスタグラムを是非ともチェックしてみてくださいね。