あの日を忘れない” 音楽で被災地を繋ぐ東北ライブハウス大作戦とは


2011年3月11日。東北地方を中心に起こった日本史上最大の自然災害となった東日本大震災。

そんな被災地でロックバンドの音響を担当するPAチーム「SPC peek performance」が中心となり、被災した地域の復興に向けて、自分たちにできることは何か、協力できることは何かを模索した結果、東北三陸沖沿岸地域にライブハウスを建設する「東北ライブハウス大作戦」というプロジェクトを立ち上げました。

被災地である岩手県宮古市、岩手県大船渡市、宮城県石巻市にライブハウスを建て、バンドやミュージシャンが被災地に訪れることで互いに元気を与え、元気をもらい、復興への気持ちを広げて、繋いていくことが目的です。

広がっていく想い

震災後、なかなかミュージシャンが足を運べなかった被災地に出向くきっかけを作ったのは、この「東北ライブハウス大作戦」があったからといっても過言ではないでしょう。

BRAHMANやELLEGARDENの細美武士、Hi-STANDARDやONE OK ROCKなどを始めとして、多くのバンドも巻き込み活動の輪は広がっていきました。

元々彼らバンドマンは、震災後に物資を集め被災地に届ける行動を始めていました。本当であれば自分たち本来の行動である音楽を届けたいのが本音だが、できないという状況を理解して、自分たちの活動以外でもできることを探していました。

そこから後の「東北ライブハウス大作戦」の代表となる西片氏の「人々が自分の意志で集まれる場所が必要だ」という想いのもと、決断でライブハウスを作ることになります。

全国から集まる支援の輪

ライブハウスを作るという決断は、震災から三ヶ月後。まだまだ周囲はりかい が追いついていませんでした。

街が津波で壊滅的な状況になっている中、どうやってライブハウスができるような場所を探すのか見当もつきません。自分たちにできることから前向きに進んでいこうと、場所探しや機材探しがスタートしていきます。

すると、話を聞きつけた人が被災地である石巻市でも作れないかという話を持ちかけられます。

こうして話もまとまり東北3ヶ所にライブハウスをオープンすることが決まりました。全国から支援が集まり、機材などライブハウス運営に必要な機材も一通りそろってきました。そして、この頃から「東北ライブハウス大作戦」のラバーバンドは、ロックを愛する若者たちの間では一種のシンボルのようになり。

アーティストもファンも誰もが東北への想いを込めて着用する姿を見かけるようになります。

文化の発信拠点として

活動開始から一年半後、3店舗はそれぞれ無事にオープンします。ものすごいスピード感ですが、西片代表は逆に焦っていました。「早く場所を作って、うじうじしている音楽関係者たちに東北に行く理由を用意してやらなきゃいけない。やっとスタートラインに建てたという感覚のほうが大きかった」と述べています。

西片氏は、「この場所はライブハウス以上の役割を果たしてほしい」という想いを持っています。「ホール代わりに幼稚園のお遊戯の練習で使ってくれてもいいし、ママさんコーラスの練習、じいちゃんたちのカラオケ大会でもいい、とにかく人が集まれる、対応力の大きい場所にしたい」という想いを語っています。

さいごに

あの日すべてを飲み込んだ津波。街や人や、文化そのものを飲み込んでしまった震災。そんな豊北の人たちに寄り添い力になりたいと立ち上がった男たちが東北の地にライブハウスを作りました。人が集まり、つながっていける場所へ。

その想いを元に始まったライブハウスは、近くにお店ができたり、バス停ができたりなど、地域にも人が集まる場所として認められつつあります。被災地にライブに遊びにいくのが不謹慎ではなく、ライブハウスがあるからこそこの街に通うきっかけになってほしいと大作戦メンバー一同は語っていました。