参議院議員の蓮舫(村田蓮舫)氏のインスタグラムをみよう!!


みなさんは参議院議員の蓮舫氏をご存じでしょうか?
日本の政治家ではあるのですが、元々はテレビタレントキャスターとしても活躍していた方なのです。
民進党所属の参議院議員(3期) で、現在は民進党代表(第2代) を務めている実力者です。
内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、行政刷新、「新しい公共」、少子化対策、男女共同参画)・公務員制度改革担当大臣民主党幹事長代行参議院東日本大震災復興特別委員長民主党代表代行民進党代表代行を歴任してきた蓮舫氏を、今回はインスタグラムとともに紐解いていきたいと思います。

蓮舫氏のプロフィール紹介!!

では、まずは蓮舫氏のプロフィールからご紹介させて頂きたいと思います。
名前:村田レンホウ(むらた れんほう)
通称名:村田蓮舫
生年月日:1967年11月28日 (49歳)
出生地:東京都
出身校:青山学院大学法学部卒業
前職:テレビタレント
スリーサイズ:B80(Bカップ)W58H80
所属政党:民主党→民進党(野田グループ)
称号:法学士
配偶者:村田信之氏
親族:陳唐山(台湾の政治家)

日本の企業との間で貿易業を営んでいた台湾人の政商である父・謝哲信氏と、「ミス・シセイドウ」だった日本人の母・斉藤桂子氏の長女として東京都で生まれました。
出生時は中華民国籍であり、のちに日本国籍を取得した二重国籍者でした。
2016年より国籍は日本のみと主張しています(詳細は二重国籍問題で後述させて頂きます)。

青山学院幼稚園、青山学院初等部・中等部・高等部、青山学院大学法学部公法学科を卒業しています。
1995年(平成7年)から1997年(平成9年)にかけては北京大学漢語中心に留学しており、17歳の時に出演したNTTのテレホンカードCMに登場することにより、テレビ露出が増えていきました。
音響機器メーカーのキャンペーンガールである「1988年度クラリオンガール」として青山学院大学在学中に選ばれた過去を持ちます。
当初は日本テレビのバラエティ番組などを中心に活動しており、1993年(平成5年)4月、テレビ朝日の報道番組『ステーションEYE』のメインキャスター(〜1995年9月)を務めていたこともあります。

続いては、蓮舫氏の政歴についてもご紹介させて頂きたいと思います。
2004年7月、手塚仁雄氏の誘いで民主党から第20回参議院議員通常選挙に出馬(東京都選挙区:定数8・改選4)しました。
比例区新人の吉田公一氏との連動で、小川敏夫氏と共に当選しました。
同年8月、民主太平洋大会出席のため台湾を訪問し総統の陳水扁氏と会見しました。

 

この中で、台湾の世界保健機関加盟や台湾からの観光客に対するビザ免除などを求める陳水扁氏を支持しました。
また、マニフェストは「ママフェスト」と称し、子育て経験を背景に少子化対策などを訴えています。
2007年9月、民主党のネクスト年金担当大臣である長妻昭氏からの要請で、ネクスト年金担当副大臣に就任しています。

2009年10月21日、内閣府が設置した事業仕分けワーキンググループの一つである、農林水産省文部科学省防衛省担当の「仕分け人」となりました。
2010年6月8日に発足した菅内閣において、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)に就任しました。
同年9月17日に発足した菅改造内閣では引き続き内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)に留任し、国務大臣としての担当事項として「公務員制度改革を推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整担当」も加えました。

2011年1月発足の菅第2次改造内閣では、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)に留任しました。
「公務員制度改革を推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整担当」から外れ、新たに内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全担当)、震災発生後の3月13日には節電啓発等担当大臣も兼務することとなりました。
6月27日に閣僚ポストをすべて退任し、内閣総理大臣補佐官となります。

2011年9月2日に発足の野田内閣において、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)に返り咲く形で就任し、その他にも「新しい公共」、少子化対策、男女共同参画、国務大臣として「公務員制度改革を推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整担当」などにも就任しました。
2012年1月13日の野田第1次改造内閣発足に伴って、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)を退任し、民主党行政改革調査会会長代行に就任しました。

2013年5月27日の民主党役員会で、馬淵澄夫氏長妻昭氏とともに幹事長代行に就任しました。
同年7月26日、幹事長代行を辞任しています。
2015年6月、新国立競技場の建設問題を調べる「公共事業再検討本部」本部長に就任しました。
2016年東京都知事選挙では鳥越俊太郎氏の応援演説を行っています。

 

続いては、民進党代表としての蓮舫氏の活動に関してご紹介します。
2016年9月2日民進党代表選挙に、前原誠司氏玉木雄一郎氏と共に立候補(推薦人代表は田名部匡代氏)しました。
9月15日の選挙では1回目の投票において過半数を獲得し、見事第2代代表に選出されました。
代表選では、「政権選択の衆院選は綱領や政策の異なる政党と政権を目指すことはあり得ない」と発言しています。
9月21日に発足した新執行部は、「新世代の民進党」を掲げていたにも関わらず幹事長の野田佳彦氏に近い人物による布陣となった為に「お友達執行部」と呼ばれることとなり、産経新聞からは「船出早々、お家芸の“党内分裂“の危機に直面している」と報じられました。

2017年3月6日、国会で「森友学園への国有地の払い下げ、なぜこんなに関心が高いとお考えでしょうか」などと質問し、安倍首相から「具体的に批判していただきたい」と返答され、「笑って答えて見苦しい」と発言すると、安倍首相に「質問があまりに分かっていないから笑ったんです」と返答されていました。
産経新聞は、北朝鮮が日本海に弾道ミサイル4発を撃ち、うち1発が能登半島沖約200キロの海上に落下するという状況に言及し、「国民の生命が脅かされる中、大阪の私立校の土地問題を優先する政党の論理がさっぱりわからない。」と評していました。

蓮舫氏の二重国籍問題とは!?

蓮舫氏は元来19歳の時に日本に帰化したと主張していたが、「赤いパスポートになるのがイヤだった」「自分の中のアイデンティティーは“日本“とは違うと感じる」 と中国への思慕が強く、1993年にニュース番組「ステーションEYE」のメインキャスターに起用されると「在日の中国国籍の者としてアジアの視点にこだわりたい」と抱負を語るなど、台湾国籍を持つ二重国籍者であることを自身の特長としてアピールをしていました。
2004年に日本政界入りしてからは蓮舫氏が元の国籍である台湾(中華民国)籍を放棄した単独日本国籍者であるか、台湾籍も保有している二重国籍者であるかは明確ではなく、2016年に民進党代表選挙に立候補するに際して「二重国籍問題」としてクローズアップされた。

ZAKZAKによると、発端は蓮舫氏が正式に立候補する直前の8月30日に八幡和郎氏が二重国籍を指摘したことであった。
蓮舫氏は9月3日放送の読売テレビの番組では「台湾籍を抜いている」「18歳で日本人を選んだ」と発言しており、更に9月6日の記者会見では追加して「31年前、17歳で未成年だったので、父と東京で台湾籍の放棄手続きをした。ただ、私は(父と担当官とがやりとりに使った)台湾語が分からなかった。私は台湾籍放棄の手続きをしたと『父を信じて』今に至る」と述べました。
そして、念の為の手続きとして台湾籍を放棄する書類を台北駐日経済文化代表処に改めて提出していました。

 

9日に配信されたインタビューでは、1985年父系血統主義から父母両系血統主義への改正国籍法施行(1月1日)を受け、同年1月21日、「中国籍(台湾籍)」を離脱日本国籍を取得した、と述べています。
13日に蓮舫氏は記者会見を開き、自らの台湾籍が残っていたことを発表するとともに謝罪しました。
民進党代表選の党員・サポータ投票がすでに終了した後だった為、対立陣営の松原仁氏「選挙を延期するべきだ」と主張するなど、物議をかもしました。

公職選挙法では、被選挙権に日本国籍と外国籍の両方を有している者を除外する規定はないが、公職選挙法は経歴詐称などの虚偽事項公表罪(第235条) を定めています。
2004年の参院選の選挙公報「1985年、台湾籍から帰化」と記載した、2016の参院選の選挙公報には台湾籍を有している真実を記載せず、日本国籍のみを有するかのように見せる事項を公にしたことが、この虚偽事項公表罪に該当する疑いがあると言われています。

2017年5月19日に、米国との二重国籍であった自民党の小野田紀美氏が自身のフェイスブックで米国籍の喪失証明書を公開したことを受け、25日の会見において「日本国籍を選択したことを証明する戸籍謄本を公開する考えが“ない“」と改めて主張しています。
今後、この問題がうやむやになることなく、きちんと白黒はっきりつくことを祈るばかりです。