衆議院議員の逢坂誠二氏のインスタグラムをみよう!


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– 2018-10-05 最新情報を元に加筆修正
 

衆議院議員の逢坂誠二氏

みなさんは衆議院議員の逢坂誠二氏をご存じでしょうか?政治にあまり関心がないと聞いたことが方もおられると思います。

日本の政治家であり、民進党所属の衆議院議員 (3期)です。名字の逢という字は、正確には部首が「⻍」ではなく「⻌」が正解だそうです。実は、とても優秀な政治家であり、今までに総務大臣政務官(菅第1次改造内閣・菅第2次改造内閣)、内閣総理大臣補佐官(鳩山由紀夫内閣・菅内閣)、北海道ニセコ町長(3期)等を歴任してきたほどの人物なのです。

そんな逢坂誠二氏のインスタグラムが面白いということなので、今回はみなさんにその魅力をご紹介させて頂きたいと思います。

 

逢坂誠二氏のプロフィール紹介!!

まずは、逢坂誠二氏がどんな人であるのかをみなさんに知って頂きたいと思います。

【プロフィール】
名前:逢坂誠二(おおさか せいじ)
生年月日:1959年4月24日 (58歳)
出生地:北海道虻田郡ニセコ町
出身校:北海道大学薬学部
前職:地方公務員(ニセコ町)→ニセコ町長
所属政党:無所属→民主党→民進党 (菅グループ・赤松グループ)
称号:薬学士、薬剤師

逢坂誠二氏は北海道虻田郡ニセコ町生まれの58歳です。

出身校は北海道倶知安高等学校、そして北海道大学薬学部を卒業されている秀才なのです。

1984年に薬剤師免許を取得されました。

大学卒業後は、ニセコ町役場に勤務をしていたのですが、1994年に転機は訪れます。

それはニセコ町長選挙への出馬です。

見事に初当選を果たすことができ、以後3期11年間ニセコ町長を務め、2005年8月に辞職をされました。

同年9月の第44回衆議院議員総選挙民主党から比例北海道ブロック単独で出馬し、これも見事な当選を勝ち取りました。

2007年には、第21回参議院議員通常選挙比例区への鞍替えが持ち上がり、逢坂誠二氏自身も鞍替えを一度は承諾したものの、民主党本部の常任幹事会では否定的な意見が出されてしまったことにより、最終的に転出は見送られてしまった過去があります。

これは、逢坂誠二氏の出身地であり町長を務めたニセコ町(後志総合振興局)を含む北海道4区は、民主党所属の鉢呂吉雄衆議院議員の地盤であり、第45回衆議院議員総選挙において選挙区調整の難航が予想された為でもあったのです。

結局のところ、北海道8区選出の金田誠一氏が同年10月に脳梗塞を発症して次期総選挙への不出馬を表明した為に、逢坂誠二氏は北海道8区(かつての鉢呂吉雄氏の地盤でもあった)で公認を受けることとなりました。

2009年の第45回衆議院議員総選挙では、北海道8区で自由民主党公認福島啓史郎氏を見事破り、再選を果たすことができました。

同年、鳩山由紀夫内閣内閣総理大臣補佐官(地域主権、地域活性化及び地方行政担当)に任命されることになり、菅内閣まで務めました。

2010年9月には、菅第1次改造内閣総務大臣政務官に任命されることになり、菅第2次改造内閣まで務めることになります。
2011年9月、野田内閣の発足に伴い総務大臣政務官を退任し、民主党副幹事長に起用された経験もあります。

2012年1月より民主党総括副幹事長を務め、同年の第46回衆議院議員総選挙では、北海道8区で自民党新人の前田一男元松前町長に敗れ、比例復活もならず落選したという経験もあるのです。

2014年の第47回衆議院議員総選挙では、北海道8区で前回敗れた前田一男元松前町長を破り、3選を果たします。

2年ぶりに国政に復帰した記念すべき年でもあるのです。

2016年3月27日には、民主党維新の党が合流したことにより、改革結集の会の一部議員や無所属議員なども参加して「民進党」が結成されました。

現在は同党に所属しています。

 

逢坂誠二氏の人物像とは!?

続いては、逢坂誠二氏がどのような思想の持主なのか?どんな性格の人なのかについてもご紹介させて頂きたいと思います。

実は逢坂誠二氏は、パソコン通信時代からのネットユーザーであり、SNSやブログ、Twitterにおいて情報発信をしているデジタルな政治家なのです。

また、インターネットを活用した政治活動を積極的に行っており、2009年6月17日に行われた国会での党首討論においては、テレビ中継を見ながらTwitterを用いて実況中継を行っていたというので驚きです。

mixiにも参加しており、「衆議院議員 逢坂誠二の日記」を立ち上げ、「革命を愛する」コミュニティにも所属しています。
革命を愛するというあたりが、実に逢坂誠二氏らしいですね。

2009年7月3日に「mixi公認アカウント」を取得しました。

これは今までの経歴が認められた証なのかもしれません。

2008年3月26日には、国鉄労働組合JR採用差別闘争の院内集会に参加し、連帯の挨拶を行いました。

そして、2009年8月30日投開票の第45回衆議院議員総選挙においては、自身の当選確実が報道された際、Twitter上に「当選確実なう」とツイートし、公職選挙法違反(当時)が指摘された経験もあります。

続いては、逢坂誠二氏の政策や主張についてもみなさんにご紹介させて頂きたいと思います。

では、どのような「基本理念」を持っている方なのでしょうか?

まずはそこから迫っていきます。

自身の政策の基本理念として、以下のことを挙げています。

・地域の特性を活かした経済循環
・安心して暮らせるまちづくり
・環境を守り、安全な地域づくり
・暮らしの基盤整備
・個性を育む教育
・情報公開と説明責任の徹底

そして、「地域主権改革」についてはどのような活動をなされてきたのでしょうか。

主な活動内容をまとめてみましたので、ご紹介させて頂きます。

・ニセコ町長在職中の2001年に、「まちづくり基本条例」を制定しました。

・地方自治体に対し権限財源を移譲し、同時に地方自治体独自の自主的な判断の尊重を主張しています。また道州制論議に関しては、逢坂誠二氏は道州制の導入そのものに関しては否定していないながらも、基礎自治体である市町村を最も重視する考えを示しています。

鳩山由紀夫内閣では内閣総理大臣補佐官(地域主権、地域活性化及び地方行政担当)を務め、主に地域主権に関する政策立案を担当していました。地方自治を所管する総務省の政務三役会議にも出席をしていました。

続いては、その他の取り組みについての情報をご紹介頂きます。

ニセコ町長在職中は「情報公開」に積極的に取り組むなど、政治のクリーン化に尽力をしました。

「永住外国人への地方参政権付与推進」については、どちらかと言えば賛成という意見を持っています。

「選択的夫婦別姓」については、積極的に選択的夫婦別姓制度の導入に賛成をしています。

2016年3月23日には、衆議院法務委員会において、同制度に関連した閣法を出すことや国会で論ずる場を設けることを求めたほか、「世論を待つということ、慎重にということよりも、もう一歩踏み込む時期に来ている」と述べています。

 

逢坂誠二氏VS金田法相!!

2017年4月21日の衆議院法務委員会で「暴力団だからと言って即、組織的犯罪集団になるとは思っていない」と発言していた逢坂誠二氏が4月22日未明、Twitterで改めてこれに触れ「誤った認識があるようだ」として「法律議論上は正しく理解して欲しい」と訴えていました。

逢坂誠二氏は問題の発言についてこう述べ、再度暴力団が組織的犯罪集団に該当するかどうかについては個別に判断する必要がある、と語っています。

「“組織的犯罪集団“とは、法律上、その結合関係の基礎としての共同の目的が、一定の罪を実行することにある団体のこと。暴力団がこの組織的犯罪集団に該当するかどうかは、個別の暴力団ごとに判断する必要がある。これが法務省の基本姿勢。誤った認識があるようだが法律議論上は正しく理解して欲しい。」と述べていました。

問題となったのは以下の部分になります。
逢坂氏「大臣。暴力団は、組織的犯罪集団、と言ってよいんでしょうか?」

金田法相「一般論としては該当し得ると、こういうふうに申し上げることが出来るのではないか。」

逢坂氏「私は暴力団だからと言ってイコール、即、組織的犯罪集団になるとは思っておりません。」

この上記やりとりに関しましては賛否両論あるのは事実です。

しかし、「誤った認識があるようだが法律議論上は正しく理解して欲しい」とTwitterで訴えている逢坂誠二氏に対しては批判的な意見以外だけでなく、法的議論としてはその通りだとしても金田法相の法律素養を問う為であったのならレベルの低い質問だったのではないかとの疑問の声も聞かれています。

逢坂誠二氏は4月22日に更新した公式サイト内「徒然日記」の中で、金田法相について「相変わらず、感度の悪い金田大臣は、官僚の書いた紙を棒読みし、一般の方は対象にならないと繰り返した」と表現しています。

法律素養を問う為の質問であった気もしないでもありませんが、こればかりは逢坂氏本人に聞いてみないと分かりませんね。

さいごに

今回は衆議院議員の逢坂誠二氏のインスタグラムをご紹介しました。

インスタグラムでは芸能人やインフルエンサーだけでなく、国会議員の親密なメッセージも見ることができるのですね!

これからも色んな情報を見ていきましょう!