あなたは吉田麻也というサッカー選手をご存知ですか?ジャニーズ顔があまり好きじゃなくて、ダンディーな男が好きという人にはお勧めのプロサッカー選手です。
今年6月にロシアワールドカップが開催されますが、日本代表に確実に選出される選手。彼の熱狂的なファンをマヤニスタとよびますが、あなたも吉田選手を知れば間違いなくマヤニスタになってしまうはず!?
吉田麻也(よしだまや)。1988年8月24日(29歳)。長崎県出身のプロサッカー選手で、名古屋グランパスエイトから、現在は、プレミアリーグのサウサンプトンというクラブチームに所属しています。
ポジションはディフェンダーで主にセンターバック。現日本代表で、これまで80試合に出場し、ディフェンダーながら10得点。
身長189cmという体格を活かした高さのあるディフェンスと、ヘディングが魅力。ロシアワールドカップにも代表選出確実の選手。
吉田選手は、長崎県に生まれ、小学校2年生のときに地元のサッカークラブに入団。
小学6年生のとき、たまたま家族で名古屋旅行をしたときに、名古屋グランパスユースのセレクションを受験。家族全員が合格するとは思っていなかったセレクションでしたが、なんと合格。
そのまま名古屋で生活をすることになります。
高校は名古屋の高校に進み、名古屋グランパスユースでのサッカーを続けます。
そして、高校卒業後は、トップチームに昇格。もともとユース時代は、中盤のボランチが定位置でしたが、恵まれた体格を活かすために、ディフェンダーにコンバート。
名古屋グランパス1年目から試合に出場し、2年目にはレギュラーを奪取。北京オリンピック代表にも選出され、国際舞台を経験します。
入団3年目の2009年には、初めて日本A代表にも選手され、フル代表デビュー。その活躍を見たオランダのVVVフェンロからオファーが届き、オランダへ移籍を決断します。
名古屋グランパスからVVVフェンロへの移籍は、本田圭佑選手と同じ出世ルートですね。
VVVフェンロに移籍した吉田選手は、移籍直後に骨折をしてしまうアクシデントに見舞われます。
シーズン後半からの活動となってしまったこともあり、移籍1年目はレギュラーとして活躍はできませんでした。
しかし移籍2年目には、を奪取。ディフェンダーながら、チーム2位の5得点をあげてレギュラーを奪取。チームの1部リーグ残留の原動力となりました。
オランダでの吉田選手の活躍を聞きつけた、イングランド・プレミアリーグのサウサンプトンというチームがVVVフェンロに獲得オファーを提示。
吉田選手は2012年8月にサウサンプトンへ移籍します。高いパフォーマンスを維持した吉田選手は移籍1年目からレギュラーの座を獲得。
体格の大きな選手が多いプレミアリーグの中においても、その存在感を見せつけます。
移籍2年目の2014年には、左ひざ靭帯を損傷するケガを負い、シーズン後半は試合に出場することができませんでした。
しかし、翌シーズンは、本職のセンターバックではなく、サイドバックでの出場をする機会が増え、マルチポジションでのプレーができる選手として監督やチームメイト、ファンからも称賛されます。
しかし、翌2015-2016シーズンは吉田選手にとって、ガマンの年になります。同じポジションにライバルが移籍加入。
さらに、ミスで得点を簡単に許してしまうなどのプレーが目立つようになり、徐々に出場機会が少なくなっていきます。
しかしそんなときも吉田選手は、地道なトレーニングを繰り返し、レベルを向上させます。
吉田選手は、自身が不調のときでもガマンを続け、黙々とトレーニングに励みました。その結果、翌シーズンは、スターティングメンバ―に復帰。
吉田選手の高いパフォーマンスはメディアからも高い評価を受けています。
この背景には子どもが生まれ、父親となり、自覚と新たな決意を持ってサッカーに向き合ったことが強く影響をしています。
その後は、監督からも高い評価を受け続け、信頼を勝ち取って、サウサンプトン不動のレギュラーとして活躍を続けています。
さらに、吉田選手は2020年まで契約を延長。29歳にして、複数年の契約を獲得できることは、チームにとってなくてはならない存在であることを証明しました。
吉田選手を語るうえで外せないのが、日本代表での活躍です。吉田選手が日本代表に初招集されたのは、2010年。
南アフリカワールドカップのメンバーには選出されませんでしたが、続くアジアカップからは、不動のセンターバックとして日本代表に定着しています。
2011年のアジアカップで印象的な得点シーンのひとつが、吉田選手のゴール。対戦相手は、ヨルダンです。中東カタールで開催された同大会では、ヨルダンとの対戦はアウェー。
そんな中で、日本代表はヨルダン相手に後半アディショナルタイムの時点まで同点。苦しい展開が続きます。
そんな状況を打破したのが、吉田選手。189cmの体格を活かし、空中でのヘディングシュート。チームの危機を救います。
2012年には、オーバーエイジ枠でロンドンオリンピックに出場。
国際経験の少ない若手中心の中で吉田選手は豊富な経験を活かし、チームをけん引し、自身もゴールを決めるなどの大活躍。
結果は4位に終わりましたが、その存在感を見せつける大会になりました。
2014年、迎えた2度目のワールドカップ。グループステージ3試合すべてに出場し、追い込まれていた日本代表は、吉田選手のパワープレーを決断。前線で体を賢明にはる吉田選手の献身的な姿が印象的でした。
吉田選手と内田篤人選手は大の仲良し。吉田選手は内田選手より1学年下になりますが、内田選手にとって吉田選手は頼れる存在。
吉田選手のブログにはよく内田選手と過ごす様子もアップされていました。
現在は吉田選手がイングランドに移籍したこと、お互いに結婚したこと、内田選手がケガで日本代表から遠ざかったことで、いっしょに過ごすことが少なくなりました。
でも、内田選手も日本に復帰が決まっており、滑り込みで代表に復帰する可能性もあります。また2人が一緒にプレーできればいいですね。
友だち思いの吉田選手は、オフの合間を縫って幼馴染の結婚式に駆けつけます。メッセージには、「結婚式って素敵やん。おめでとう」と添えられた写真。
中央奥で吉田選手は写真に写っています。とっても素敵な写真ですが、ファンからは「小顔に見える」「遠近法で小顔に」と突っ込まれています。
「遺伝ってすごいな」とタグ付けされた写真。左側の写真は、吉田選手のお母さんの高校時代の写真。
メッセージには「髪に整髪料つけてない時の吉田と高校時代の吉田(母) 」と添えられています。ファンからも「似すぎ」「お母さんそっくり」「ワロタ」という声が寄せられています。
散歩隊とタグ付けされた写真は、ワールドカップ最終予選。オーストラリア戦に向けてメルボルンでの1枚。
散歩隊は2010年ワールドカップのときに、キーパーを中心に結成されたチーム。
遠征先で宿泊地の近隣を散歩するだけのメンバーですが、こうした健全なコミュニケーションが日本のチームワークを支えています。
娘さんを連れて、スペインの街を散策する吉田選手ですが、メッセージが秀逸です。
「スペインにて同じラテン語のイタリア語で『Tシャツ』って書いてあるTシャツを着て歩く。つまり日本で変な日本語書いた服着てる外国人と一緒。このメンタリティ。」
…思わず、あるあると言ってしまいますね。
娘さん初めての飛行機。メッセージには、周りのお客さんに迷惑かけないでくれというタグが付いています。
12時間のフライトで怖い、とも。世界で活躍する吉田選手でも家に帰れば一児のパパ。こういうひとときが世界と戦う力になる?のです。
プロサッカー選手、日本代表の吉田麻也選手について、インスタグラムを通じてご紹介をしてきましたが、とってもダンディーでとっても面白い人なのです。
しかし、日本代表に対しては本当に熱い気持ちを持っていて、試合中は相手に対しても、かなり強い口調で言い合うこともしばしば。
そんな吉田選手はきっとロシアワールドカップでも日本代表を引っ張ってくれるはず。ぜひインスタグラムから吉田選手に熱いメッセージを送って、活躍を応援しましょう!