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日本最強ストライカー?!大久保嘉人とはどんなひと?

大久保嘉人さんは日本を代表するサッカー選手で、2018年現在川崎フロンターレでフォワードとして活躍しています。ワールドカップでは日本代表として出場し、様々な功績を残しています。そのほかにも書籍の出版やTV番組の出演、また現在は3児の父としての顔も見せており人気を博しています。

大久保嘉人さんのプロフィールは?

1982年6月9日生まれふたご座。2001年にセレッソ大阪でプロになり2003年に初めて日本代表に選ばれました。その後アジア年間最優秀ユース選手賞を獲得し2004年にはU-23日本代表としてアテネオリンピックへの出場を果たします。それ以降海外・国内のクラブに所属しており、2010年にはFIFAワールドカップ南アフリカ大会へのメンバーに選ばれました。2013年~2015年までJリーグで得点王とベストイレブンを受賞しています。

プロになる前はどんな人?

幼いころは父親の購入したディエゴ・マラドーナのビデオを何度も見たり、一緒に野球をしたりして楽しんでいた活発な子でした。大久保嘉人さんが小学校3年のころに苅田サッカースポーツ少年団に入団しサッカーを本格的に始めていきました。初めて3年がたつ頃にはU-12福岡代表選抜チームに選出され、横浜マリノスvs鹿島アントラーズで前座として出場した試合では5得点を決め、柏サポーターから「大久保」コールを受けるという経験もしました。
その後名門の長崎県立国見高校にあこがれ小学校卒業後に長崎県の国見町立国見中学校へ入学、在学中には全国ベスト8に輝きU-15長崎にも選出されています。
1998年に国見高校へ入学を果たし3年の時にインターハイを経験、同じく3年の時にU-19日本代表としてAFCユース選手権2000へも出場しています。

 

プロ入りしてからの活躍①

セレッソ大阪へ2001年に加入した大久保嘉人さん。同年3月に初出場を果たし輝かしいプロサッカー選手人生が始まります。けがなどもあり苦悩もありましたが辛抱強くトレーニングを続け2002年には29試合連続出場、得点ランキング2位を獲得しアテネオリンピックのメンバーにも選ばれました。
大久保嘉人さんの活躍はまだ続きます。2003年のJ1では24試合に出場して、その年日本人最多得点となる16点を挙げる快挙を達成し、最多投票数を獲得しオールスターへの出場も果たしました。2004年の成績は22試合出場15得点、プロ入り初のハットトリックを決めアテネオリンピックでは2試合で決勝点となるゴールを決めています。

プロ入りしてからの活躍②

オリンピックでの活躍がきっかけになり2004年には名門クラブRCDマヨルカへの移籍が決定し、2005年からは海外へ活動の幅を広げました。マヨルカからの評価は高く2006年まではクラブに残留、スペインでの戦績は39試合出場5得点6アシストに終わりました。オリンピック後も引き続きフル代表に招集されていましたが、無得点に終わってしまい2015年のヨーロッパ遠征を最後に招集されなくなり2006年には出場を逃してしまいます。

プロ入りしてからの活躍③

2006年にはセレッソ大阪へと復帰し復帰後7戦目で2得点を挙げます、その後も低迷していたチームを救うべく奮闘を見せましたが最終順位は17位に終わってしまい、チームはJ2へ降格してしまいました。
2007年にはヴィッセル神戸へ移籍し主将としての活躍を見せます。
同年カメルーンとの国際試合にて日本代表に復帰するとエジプトとの親善試合にて初の代表ゴールを決めました。

プロ入りしてからの活躍④

2009年にブンデスリーガ・VfLヴォルフスブルクの監督を務めるフェリックス・マガト氏の強い希望で移籍を果たした大久保嘉人さん。
監督ともめることもあったようですがここで強いフィジカルと鋭いドリブルを習得しました。2008~2009年シーズンでは長谷部誠とともにクラブ史上初のドイツ内所要サッカー大会の初優勝を経験しますが、出場機会が少なかったこともあり危機感を覚え1シーズンでの移籍を決意します。

プロ入りしてからの活躍⑤

2009年に帰国し神戸へと復帰します。2010年にはワールドカップ南アフリカ大会へ出場しチームの決勝トーナメント進出へ貢献しました。
帰国後には燃え尽き症候群を発症してけがが多発してしまい、2011年までに何度もけがを重ねてしまいます。そのせいもあってかクラブからの慰留もなく、その年限りでの退団ということになってしまいました。
その後2013年からは熱望されていた川崎フロンターレへ移籍し2年契約を結びました。
川崎の的確な起用によって本来の得点に集中する能力を取り戻して復活。多彩な攻撃センスを見せたびたび得点に絡む場面を量産しはじめます。

プロ入りしてからの活躍⑥

2013年以来の好調により2014年にワールドカップブラジル大会の日本代表へとサプライズ選出が発表されました。
親善試合のザンビア戦では2008年以来となる国際Aマッチでの得点を記録し、チームに貢献したものの本戦1戦目のコートジボワール戦で決定機を逃してしまいます。続く2戦・3戦目でも得点できずにチームはグループリーグで終わってしまいました。
Jリーグでは前期の得点王としての重圧を感じながらも好調のまま得点を重ね、2年連続の得点王に輝きました。

 

プロ入りしてからの活躍⑦

2015年、FC東京からのオファーもありましたが契約を更新しそのまま川崎へ残留となった大久保嘉人さん。史上4人目となるJ1通算150得点を打ち立てたうえ、3年連続得点王へも輝き日本最強のストライカーとしてその名をとどろかせました。
2016年もその勢いがとどまることをしりません。33試合へ出場し得点王こそ逃すものの日本人選手タイとなる15得点をマークし、同年の契約満了に伴って複数クラブの大久保嘉人さん争奪戦が繰り広げられました。
2017年には再度のオファーをくれたFC東京へ移籍し、翌年2018年からは川崎フロンターレに復帰し活躍を続けています。

最愛の奥さんとは仲良し

モデルなど華やかな職業の女性と結婚することが多いサッカー選手ですが、大久保嘉人さんの奥さんは一般の方で名前を莉瑛さんといいます。インスタグラムに投稿されている写真を見てもわかるようにかなりきれいな人ですね。
大久保嘉人さんとのなれそめは18歳のころ、嘉人さんから猛烈にアプローチして交際に発展。3年付き合ったのちに結婚となりました。
サッカー界のエースであった嘉人さんを献身的に支える様子や、積極的に育児に取り組み幸せな家庭を築いているふたりの様子がインスタグラムに多々アップされ、ファンからの羨望を受けています。

大久保嘉人さんは理想のイクメン?

こちらもインスタグラムに投稿された1枚。大久保嘉人さんはかなりの子供好きなのか、頻繁に自分のお子さん3人の写真をアップしています。
3人とも男の子なので将来サッカー選手になるのではとの話題もあるようで、実際長男とは休日にサッカーの練習をしているようです。
父親として嘉人さんは「将来は自分の好きなことをやってほしい」と言っており、サッカー選手でなくとも全面的に応援する意思を表しています。かわいいお子さんの今後の進路もまた注目ポイントですね。

奥さんの流産と病気。

奥さんの莉瑛さんは2015年に1度流産を経験しています。
その際帯状奇胎という病気だということが発覚していました。
手術を行ったのにも関わらず症状はよくならず、奇胎後hCG存続症という病気になっていることが発覚してしまいました。この病気の治療には抗がん剤を使用するため髪が抜け落ちてしまう可能性があります。その際の奥さんの不安をやわらげられたらということで家族で話し合い、大久保嘉人さんとお子さん3人で坊主にすることにしたのです。
その後無事に治療が終わり健康体を取り戻した奥さん。ここでは家族の絆が感じられますね。

 

2017年には4男も誕生!

病気を乗り越え2017年には大久保家の4人目となる男の子が誕生しました。
大久保嘉人さんも「無事に生まれてきてくれてほっとしています。新たな家族を迎えてさらに気持ちも高まりました。パパ頑張ります!」とコメントしていました。
妊娠前に流産や病気をしていたので心配ではあったようですが、無事に生まれて本当に良かったですね!これで4兄弟となった大久保家はますますにぎやかになりますね。

まとめ 今後の大久保嘉人さんの活躍にも期待!

2001年にプロ入りをしてから国内・国外で活躍を続ける大久保嘉人さん。
けがや監督との衝突など苦悩の時期を乗り越え3年連続得点王の偉大な記録を持つ日本が誇るサッカープレイヤーです。
私生活では4人のお子さんを育てるイクメンで、インスタグラムにはその幸せでにぎやかな様子の写真が数多くアップされています。
サッカーファンに愛され現在も活躍し続けている大久保嘉人さんの更なる輝きに期待しましょう。