プロサッカー選手「松永祥兵」はインドネシアでのプレーにこだわるのか?インスタに隠された答えとは。


あなたはプロサッカー選手「松永祥兵」という選手をご存知ですか?日本代表に選ばれることもなく、日本での知名度はありません。

しかし、インドネシアのサッカーファンの間では、知れ渡っているプレーヤー。

なぜ彼がインドネシアでのプレーを選び、インドネシアに留まるのか?インスタグラムを通じて、その全てをあなたにお伝えします。

松永祥兵さんのプロフィールは?

松永祥兵(まつながしょうへい)。1989年1月7日(29歳)。静岡県三島市生まれのプロサッカー選手。身長:174cm、体重:64kg。現在は、インドネシアプロサッカーリーグのプルシブ・バンドンでプレー。ポジションはフォワード、ミッドフィルダー。

 

松永祥兵選手のこれまでの歩み

松永選手は、小学校1年生のときにサッカーを始めます。その後、高校ではエースストライカーとして活躍するも、成績は静岡県ベスト8止まり。

全国大会に出場した経験もなく、無名の選手のまま2007年に国士舘大学へ進学。しかし、1年経たずに大学を休学。

その理由は、ドイツへサッカー留学をするため。ドイツの2部リーグにいたアレマニア・アーヘンというチームの練習生として参加。

ドイツから日本へ!

松永選手は、その後、ドイツの名門クラブチームであるシャルケ04に練習生として参加。

実力が認められ、2008年10月に正式にシャルケ04と契約を結び、トップチームへ昇格。しかし、出場機会にはめぐまれずに契約打ち切り。

シャルケ04から契約を打ち切られた松永選手は、日本に戻り、愛媛FCと契約。しかしシーズン終了と同時に退団。

日本からインドネシアへ!

Jリーグでのプレーを終えた松永選手は再び海外に旅立ちます。松永選手が活躍の場を求めたのは東南アジア。

2011年にインドネシアのクラブチーム、プルシブ・バンドンに加入し、その後、同じインドネシアリーグのプルセグレス・グレシク・ユナイテッドへ移籍をしています。

熱狂的なファンが多い、インドネシアサッカー

ご存知ない方も多いですが、インドネシアは熱狂的なサッカーファンが多い国で、サッカー人気がとても高いんです。

サッカーがある日は、みんなテレビの前にかじりついて観戦をするほどです。そんなインドネシアで松永選手がどのようなサッカー生活を送っているのか、詳しくお伝えしていきますね。

インドネシアでの活躍、古巣への復帰

松永選手が移籍したプルセグレス・グレシク・ユナイテッドでは、2017年は13得点をマーク。

古巣から復帰のオファーを受け、次シーズンは6年ぶりにプルシブ・バンドンでプレーすることが決まりました。

インドネシアでの活躍、古巣への復帰

プレー以外でも、松永選手は、インドネシアサッカーの貢献に尽力しています。

長いインドネシアでの生活で培った語学や人脈を活用し、インドネシアと日本のサッカーのパイプ役としても活躍。

移籍先を探していた日本人プレーヤーの能登選手と以前松永選手が所属していたチーム、プルシブ・バリクパパンとの仲介役を果たし、日本とインドネシアサッカーの架け橋となる役割も担っています。

 

松永選手がインドネシアにこだわり続ける理由とは?

サッカー選手を続けながらも、インドネシアでのサッカー教室や、インドネシア人選手の日本クラブチームへの移籍をサポートする事業などを模索中。

日本の2倍近くになるインドネシア人口。日本のクラブチームにインドネシア選手が移籍すれば、グッズの売り上げ、テレビ放映、日本への観光など、日本にとっても様々なメリットがあります。

その橋渡しができるのはインドネシアを知り尽くした松永選手なのです。

松永選手がインドネシアにこだわり、プレーを続ける理由がここにあるのです。

松永選手が守りたいもの、守るべきものとは?

松永選手は、2016年に日本人女性とご結婚をされています。

また、2017年には、子ども生まれ、「自分一人なら何となく生きていけるが、妻子を持つとそうはいかない」という夫、父親としての自覚を語っています。

この自覚がプレーにも表れ、これまではチームメイトを活かすというプレースタイルに、得点へのこだわりが生まれ、13得点という結果につながったのです。

松永選手は、インドネシアでどのような暮らしをしているのか?

松永選手のインスタグラムには、サッカーはもちろんですが、プライベートな写真がたくさん投稿されています。

インドネシアと言えばバリ。そんなバリから松永選手の様子がアップされています。「This place makes me feel relaxed(この場所はリラックスさせてくれる)」というメッセージが添えられた1枚。

リゾート地の派手さではなく、落ち着いた雰囲気漂い、とても心穏やかになる場所ですよね。まるで時間が止まっているかのようなゆったりとした様子が伝わってきます。

ゴルフ大国でゴルフを堪能

インドネシア政府もゴルフ外国人観光客の誘致のツールとして力をいれています。

安く回ることができるゴルフ場がたくさんあって、首都ジャカルタ市内からも車で数十分の場所にあるのでとても便利なんですよ。

そんなゴルフ大国でもあるインドネシアでゴルフを楽しむ松永選手の様子が投稿されています。

「pengen main golf(ゴルフをしたい!)」というインドネシア語でのメッセージも添えられています。

忘れてはならないもの…

インドネシアの歴史は日本の歴史。昭和17年、日本はオランダに止められていたインドネシアからの石油資源を確保するため、当時オランダ領のインドネシアに上陸。

インドネシアでオランダ軍を振力とする連合軍との戦争が起こります。

そして、この地でたくさんの尊い命がなくなりました。私たちはこの事実を忘れず、平和な世界を作っていかなければいけない、松永選手のインスタグラムから、改めて平和の尊さを感じずにはいられません。

一度は訪れてみたいバリクパパン

バリクパパンとは、インドネシアにあるカリマンタン島東部にある街。港湾都市としても有名な観光地。

オランウータンに会える場所としても有名ですが、その他にも、松永選手の写真にもあるようなエメラルドの海、美しいビーチ、熱帯雨林を嫌というほど感じられる自然保護地区など、様々な観光を楽しめる場所です。

その他にも様々な種類のワニを見ることができるクロコダイルファームでは、ワニの肉を食べたり、ワニ油が売られたり、日本では体験できない場所です。

ぜひ、インドネシアに行った際は、バリクパパンを訪れてみてくださいね。

インドネシアを訪れたら食すべきカニの正体とは?

松永選手のインスタグラムには、インドネシア料理に舌鼓を打つ写真がたくさんアップされています。

2016年7月に松永選手から投稿された写真には大きなカニが三杯も!インドネシアで目にするカニは日本のカニとは少し違って、ヤシガニという種類がほとんどです。

カニ専門やカニが名物の料理店がインドネシアにはたくさんあり、日本ではあまり食べることができないヤシガニを手ごろな値段で楽しむことができます。

手づかみでワイルドにカニをむさぼるのがインドネシア流。インドネシアでは、ぜひヤシガニをご堪能ください。

インドネシア語で「おはよう」はselamat pagiといいます

インドネシアのゆったりとした朝が気持ちよさそうですよね。のんびりとした朝を緑で囲まれたカフェで過ごすなんて、慌ただしい朝を過ごす日本の生活をする私から見ればとても羨ましく思います。

こんなまったりとした時間を過ごしていれば、気持ちもゆったりとして人にも優しくなれそうじゃないですか?

松永選手が現在暮らすバンドンは日本人が過ごしやすい気候

松永選手がいる場所はバンドン。インドネシア第三の都市で、年間通して日中は26度前後で夜は17度と、比較的涼しい高原都市なんです。

美しい風景や、オランダ統治の名残を見ることができる観光都市でもあります。そうそう、ジャワティーの産地としても有名ですね。

 

プロサッカー選手、松永祥兵選手まとめ

インドネシアで活躍する松永選手について、インスタグラムを通じお伝えしてきました。

彼がこれからインドネシアと日本をつなぐ重要な役割を担うサッカー選手であることを知っていただけたのではないかと思います。

そして、言葉も文化も違うインドネシアで仕事と生活をすることは大変ではあると思いますが、インスタグラムからはインドネシアの全てを楽しむ松永選手の逞しさを感じます。

お子様が生まれ益々の活躍が期待される松永選手をぜひ知っていただき、応援していただければ嬉しく思います!