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– 2019-01-12 最新情報を元に加筆修正
格闘技ファンなら誰もが知るファイター、マーク・ハント。
格闘技で稼いだ賞金で両親の家を購入、乱暴な言葉を使う格闘家の中で相手への敬意を払うことを忘れない心の持ち主のマーク・ハント。
そんな彼が今、怒り狂っています。
なぜ彼がそれほどまでに憤っているのか、彼のインスタグラムを通じてお伝えしたいと思います。
マーク・ハントの正式名は、マーク・リチャード・ハント。1974年3月23日(44歳)のニュージーランド出身の総合格闘家。
身長:178cm、体重:120kg。サモア系のニュージーランド人であることから、サモアの怪人の愛称で知られており、日本のK-1 WORLDグランプリ 2001の王者に輝いています。
「格闘技はあまり詳しくはないんだよね」という方のため、マーク・ハントのこれまでの格闘家としての歩みを少し振り返ってお伝えしたいと思います。
大学時代ラグビー選手だったマーク・ハントは、その恵まれた体格を活かし、ナイトクラブで警備のバイトを始め、その仕事の中でキックボクシングと出会います。
アルバイトのキックボクシングがきっかけとなり、2000年2月に開催された日本のK-1グランプリオセアニア地区大会に参加。初参戦でなんと優勝をしてしまうのです。
そして、同年7月に名古屋で開催されたK-1グランプリの本選に出場したマーク・ハントは、準々決勝で敗退するも、無名だったマーク・ハントの名は瞬く間に格闘技界に知れ渡ることになります。
K-1初参戦から7カ月後の2001年1月、2度目のK-1挑戦。オーストラリアで行われた世界地区予選で優勝を果たし、しかし、2度目のワールドグランプリの出場権をかけたトーナメントでは、準決勝で判定負け。
福岡での敗者復活トーナメントに出場し、対戦相手と壮絶な撃ち合い、しかし僅差で判定負け。1回戦負けを喫してしまいます。
しかし、試合後に対戦相手がまさかの棄権。
一時は判定負けとなったマーク・ハントが勝ち上がることになり、決勝トーナメントへの出場権を獲得し、決勝トーナメントもあっという間に決勝まで勝ち上がります。
そして迎えたK-1ワールドグランプリ決勝戦。マーク・ハントの対戦相手は、ブラジル出身の空手家であるフランシスコ・フィリオという選手。
優勝候補の選手を次々と倒し、勢いのある選手です。試合は延長までもつれ、終始攻撃的な試合をしたマーク・ハントが判定勝ち。
2001年のK-1ワールドグランプリを制覇してしまうのです。
しかし、マーク・ハントはここから格闘家としての大きな壁にぶち当たります。
K-1ワールドグランプリ優勝をきっかけにハントは練習を怠り、これまで見せていたキレのある動きが見られなくなります。
実は、この裏にはプライベートな問題が影響していたのです。
K-1ワールドグランプリ優勝をきっかけに大金を手にするようになったハントの周りには、彼の持つお金を目当てに多くの人間が取り巻くようになっていました。
今までハントに見向きもしなかった人たちが、彼が大金を手にしたことで、手の平を返したように近づいてくる。
ハントは極度な人間不信に陥り、自分を見失っていたのです。そして練習する気力も失せ、とうとう彼の心が壊れていきます。
後にハントはこの時期に精神科に通っていたことをインタビューで打ち明けています。
ですが、ハントはリングに立ち続けます。さらにハントは右手首を負傷。それを隠してまでリングに立ちます。
なぜ、そんな追い詰められた精神と体の状態でリングに立つことができたのか?彼は愛する家族を守るためにリングに立つのです。
ハントにファンが心を打たれた伝説の試合を紹介します。2002年12月K-1ワールドグランプリ2002の準決勝。
ジェロム・レ・バンナ戦。K-1の大会は1日で全トーナメントが行われます。つまり、勝ち上がっていけばいくほどにダメージを蓄積した状態で戦わなければいけません(続く)
比較的、余裕の試合で勝ち上がってきたバンナ。ハントはそれまでの試合で大けがを負った状態です。
試合終盤は、はっきり言ってフルボッコ状態で、ハントは「立っていることが信じられない」と実況されるほど。
最終的にジャッジでジェロム・レ・バンナが判定勝ち。しかし、東京ドームに詰めかけた観客はスタンディングオベーション。
ハントに大きな拍手で健闘を称え、この試合でのハントの姿はベストファイターという形で表彰されるほど全ての人の記憶に刻み込まれたのです。
その後、ハントはK-1(キックボクシング)を離れ、PRIDEに参戦し、総合格闘家としての道を歩み始め、PRIDEを盛り上げることとなります。
さらに、2010年からはアメリカの総合格闘技団体UFCに参加。度重なるケガや病気と闘いながらリングに立ち続けるのです。
UFC参戦がその後のハントの行き場のない怒りの原因になります。
ハントの怒りの伏線は、2013年12月に開催されたUFC主催の大会でハントはブラジル出身のアントニオ・シウバとの戦い。
壮絶な打ち合いを演じた末にドローの判定となった直後に行われた薬物検査でアントニオ・シウバが検査にパスできない状態、つまり禁止されている成分が見つかったわけです。
ファイトマネーはハントに手渡されるものの、ドローという結果はそのままになります。
そしてハントが怒る直接的な出来事が起こったのが2016年UFC200というイベントで、対戦したブロック・レスナーに屈辱の0-3という判定負け。
しかし、ブロック・レスナーからは禁止薬物が検出されます。これに怒ったハントは、UFCの社長、対戦相手のブロック・レスナーを相手取って民事訴訟を起こします。
ハントは「戦うことは、俺のやるべきことだ。もし試合で死んでも、それはかまわない。しかし、(試合で死ぬのであれば)試合は公正なものであるべきだ」とコメント。
命を削って戦いに正面から挑むハントにとって、ドーピングという不正が許せなかったのです。
ハントのドーピングに対するコメントをお伝えします。
「もしドーピングがなければ私はチャンピオンになっていたでしょう。もしチャンピオンになっていたら、もう戦う必要はなく、自宅で穏やかな日々を過ごしていることだろう。彼らはドーピングという不正をしなければ私に勝つことができなかった。そのために、私は多くの賞金とスポンサーを手に入れることができなかった。私は血と汗を流してやってきた。でも彼らは(血も汗も流さず)薬を使ってやってきたんだ」
ドーピングをした対戦相手に対して訴訟を起こすハントはまっとうで、彼に賛同するファンは数多くいました。
しかし、そんなファンにショックが走ったのは、ハントが抱えているもう一つの問題でした。その問題とは、ハントが記憶障害を発症しているということ。
ハントは自分の脳に障害が出ていることを知りながら、まだ戦いを続けています。しかし、訴訟を起こしたハントに対してUCFは彼を試合から遠ざけようとしているのです。
そんなやり方に対して怒りをにじませているハント。
ハントは戦う姿勢を崩さず、UCF側とは膠着状態が続いています。
格闘家マーク・ハントについてお伝えしてきましたが、本来彼はひょうきんな性格で対戦相手に対しても敬意を払う心優しいファイターです。
不正を許さない姿勢を見ても、まじめに格闘技に取り組んできたことを感じていただけたのではないでしょうか。
まだ訴訟は始まったばかり。これからの格闘家としてのハントを応援しつつ、訴訟の行方にも注目です。