そんな沖縄から女性ラッパーとして全国的に名を上げている一人のラッパーがいます。その名はAwich(エーウィッチ)。彼女は沖縄で生まれ、その後アトランタに渡るも壮絶な経験を経て、帰国しヒップホップの道へと渡りました。聴く者のスピリットに訴えかける、圧倒的な存在感を持つAwichさんの魅力をご紹介します。
Awichさんは、1986年生まれの沖縄県那覇市出身。沖縄の女性ラッパーのパイオニアとして君臨する一方、「CIPHER CITY」代表としてメディア制作やイベント企画に携わるなど起業家としても活躍しています。
9歳から詞を書き続けていたAwichさんは、14歳の頃から音楽活動を開始し、コンピレーションアルバムへの参加を通し、Awich名義での活動を開始します。自らのラップを録音し、17歳でクラブのラップバトルに参加。19歳で初のアルバムもリリースしました。
英語、日本語、ウチナーグチを織り交ぜた社会性のあるリリックで、県内外から注目される存在に。高校までは地元沖縄のプロダクションに所属しており、高校卒業後に配信オンリーの楽曲を発表します。
高校卒業後は、アメリカ・アトランタの米インディアナポリス大学に留学します。留学地にアトランタを選んだ理由というのも、当時のサウスヒップホップの世界では、アトランタが中心地だったからだそうです。
ビジネスについても学び沖縄に持ち帰ろうと考えていたAwichさんは、すでにシーンが出来上がっているNYやLAよりアトランタの方が学べるものが多いと感じたのだそう。ここでの海外経験を元に、そこで得たマーケティングのノウハウとクリエイティブな発想を元手にラッパーと企業家という顔を使い分けているんですね。
Awichさんはアメリカへの留学中に、現地で出会ったアメリカ人の方と結婚されて娘さんを出産されました。しかし、大学で学位を取得して家族での帰国を決めた矢先に夫が銃殺されるという悲劇が起こります。
Awichさんと旦那さんは文化や価値観の違いから関係がぎくしゃくしていたとのことですが、卒業を機に日本で生活をやり直そうとしていた矢先の出来事でした。
旦那さんは生前「僕に何かがあったら埋めないで、海に流してほしい」という遺言をもとに、沖縄の無人島に遺灰を持っていって海に遺灰を流したそうです。まだ幼かった娘さんには、色んな質問を何日もかけて全部出来る限り答えて、娘さんの中で「この灰がお父さんなんだ」って理解できたときに、海に流しにいったと言います。
この時の出来事は「Ashes」という曲の中で歌われており、未亡人として母親としての強さや、旦那さんが残してきてくれた愛に対しての感謝を歌っています。
その後、Awichさんは、旦那さんを亡くしたことで「人生は短い。自分の根っこにあるものを育てる会社をつくろう」気持ちが大きく変わったといいます。
愛する人を亡くした後の原動力は娘の存在と、戦後何もない時代を生き抜いた沖縄の先人から受け継いだ精神だと言います。
沖縄に戻ったAwichさんは「CIPHER CITY」というマーケティング会社を創設します。ファッションブランド「YOKANG」やアーティスト大城英天さんの海外プロモートなど、アーティスト活動をつなぐイベント企画を中心に活動を展開しています。
「アイデンティティーに誇りを持つことで、自分の価値や地域の価値が高まり、ものづくりや経済活性化につながる。その基盤をつくりたい」という思いで立ち上げたCIPHER CITY。
会社の強みとしては、企業のブランド価値を高める提案力。5年の海外留学で得たマーケティングのノウハウ、音楽活動でのクリエイティブな発想力をもとに、経営者としてもAwichさんは多くの案件をこなしています。
「競争が激しい海外市場で印象を残すには、ユニークさがあり、明瞭で分かりやすく情報を伝えることが不可欠」。
そのために最も気を配るのが、「企業の根底にあるブランド・アイデンティティーをしっかりと定義、強化すること」とAwichさんは言います。音楽活動で得た人脈を生かした宣伝力も彼女ならではですね。
新たなヒップホップクイーン、Awichさんの魅力についてお伝えしました。いまや全国から注目を集める存在の彼女ですが、彼女の原動力は常に故郷の沖縄にあると言います。
ラップをやり始めてから、より自分のアイデンティティーや、さまざまなことを沖縄の社会とリンクしながら考えるようになったといいます。彼女のラップから生み出す精神性やパワーを是非聴いて感じてみてください!