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テニス 錦織選手をインスタグラムで紹介

世界で大活躍しているテニス選手といえば錦織圭選手が思い浮かびますよね。日本の選手が世界で活躍しているのは日本人にとって凄くて嬉しいですよね。

そんな錦織圭選手はインスタグラムを開設しており、そのフォロワー数はなんと!42万人を超えていてとても大人気なインスタグラムなのです。

今回は錦織圭選手をインスタグラムを通して過去を紹介していきたいと思います。それでは簡単なプロフィールからどうぞ!

錦織圭選手とは?

本名:錦織圭(にしこりけい)
愛称:ケイ・ニッコ
生年月日(星座):1989年12月29日(やぎ座)
血液型:A型
出身地:島根県松江市
所属:日清食品株式会社
職業・ジャンル:プロテニス選手
活動期間:2007年~

松江市立乃木小学校、開星中学校、青森山田高校卒業。東京理科大学中退。身長178cm、体重75kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

ATP(男子プロテニス協会)が発表する世界ランキング自己最高位はシングルス4位(アジア男子歴代最高位)、ダブルス160位。 シングルスとしては日本男子史上初の世界ランキングトップ10入りを果たしました。

2014年全米オープン男子シングルスの準優勝者であり、男女通じて日本人史上初、アジア男子史上初のグランドスラム4大大会シングルスファイナリスト。また、シングルスとしてはアジア男子史上初のATPワールドツアー・ファイナル出場者。グランドスラムに次ぐ格付けのATPワールドツアー・マスターズ1000では4度の準優勝。

2008年に18歳の若さで、デルレイビーチ国際テニス選手権で優勝し、松岡修造に次いで日本男子史上2人目のATPツアーシングルス優勝者となった。これまでにATPツアーにおいてシングルスで日本人史上最多の11度の優勝、ダブルスでは準優勝を1度記録。

2016年にはリオデジャネイロ五輪男子シングルス銅メダリストとなり、テニス競技では日本選手として96年ぶりのメダルを獲得した。

ジュニア時代から中学生時代

錦織圭選手は1989年12月29日、島根県松江市に生まれます。初めてラケットを手にしたのは5歳の時。父と9歳になる姉と一緒に雲南市の公園でボールを打っていた。2ヶ月後に同じく雲南市にある加茂町中央公園のテニスコートに通いだします。

テニスを始めてから約1年後、松江市内の「グリーンテニススクール」に入会します。小学4年生の時、中国地方代表として全国小学生テニス選手権大会に出場する。翌年も出場し2回戦で第8シードの選手を破る番狂わせを起こしベスト8の成績を残します。

2001年小学6年生の5月、千葉県柏市の吉田記念テニス研修センターで行われた全国24名のトップ選手が揃う全国選抜ジュニアテニス選手権大会(選抜ジュニア)12歳以下の部で優勝を果たします。この大会の準決勝では松岡修造が錦織の試合を観戦していたそうです。


松岡さんはリターンゲームでの圧倒的な才能に目を奪われると同時にサービスに悪い癖が付いてる短所も懸念していた。選抜ジュニアから1週間後、河口湖湖畔で開催される「修造チャレンジトップジュニアキャンプ」への招待状が届く。

6月のこの日は修学旅行と被っていたが錦織は喜々として参加した。松岡さんは錦織圭選手の苦手とする”表現力のメンタルトレーニング”を敢えて強いた。また、コーチとして竹内映二さんと小浦猛志さんが技術指導を行ったそうです。

2002年10月スカウティングスタッフの推薦を得て盛田正明が運営する「盛田正明テニス・ファンド(MMTF)」の選考会に参加すします。この時参加していたIMGアカデミーヘッドコーチのゲイブ・ハラミロの推薦により、翌年1月MMTFの候補生のひとりとしてIMGアカデミーに二週間の短期留学をすることになります。

ここでの適応力・集中力・練習や試合に取り組む姿勢をコーチ陣に高く評価され、最終選考会を経て盛田正明テニス・ファンドの第4期特待生に選抜される。2003年8月末に同じ選抜生2人とともに渡米。

渡米した翌月にはテキサス州のジュニア大会ベスト8、ダブルスは準優勝する。12月のオレンジボウル選手権14歳以下の部で準優勝。2004年6月にモロッコのG3ジュニア大会決勝でアレクサンドル・ドルゴポロフに勝利し優勝。14歳での優勝は快挙と言ってよかった。

9月にはIMGの日本人メンバーとともに男子ジュニア国別対抗戦のジュニア・デビス・カップで三橋淳さん喜多文明さんらと共に日本代表として出場。スペイン戦でペレ・リバに勝利し前年大会では11位だった日本を過去最高の5位入賞に押し上げました。

高校時代

2005年にはジュニアG2の大会で立て続けにベスト4入り。そしてこの頃IMGアカデミーのトップグループに昇格。専任コーチを雇用します。

9月、全米オープンジュニアで3回戦進出。10月、大阪市開催の世界スーパージュニアテニス選手権大会でジェレミー・シャルディーに敗れるものの準決勝まで進出。この大会では三橋淳と組んで出場したダブルスでも準決勝まで進出し単複ベスト4の成績を収めました。

2006年1月の全豪オープン男子ジュニアではベスト8入り。ダブルスではピーター・ポランスキーと組んで出場しベスト4進出の好成績を収めます。3月、京都市で開催されるATPチャレンジャーツアー大会・島津全日本室内テニス選手権大会にワイルドカードで出場。

錦織圭選手にとって初のツアー大会であった。初戦でロバート・スミーツに敗れるものの初のATPポイントを獲得する。翌週メキシコカンクンのフューチャーズ大会には予選から出場しベスト4入り。

6月にはエミリアノ・マサと組んで出場した全仏オープン男子ジュニアダブルス部門で、日本男子史上初の4大大会ジュニアダブルス優勝の快挙を果たした。なおこの大会では男子ジュニアシングルスでも8強に入っている。

また、前年この大会で優勝しこの年も男子シングルス決勝に進んだ世界ランキング2位のラファエル・ナダルが、決勝前日の練習相手に仮想ロジャー・フェデラーとして錦織圭選手を指名し話題を呼んだ。その翌日の決勝戦当日の朝にもヒッティングパートナーの依頼を受け再び練習相手を務める。

フューチャーズ大会で着実に実績を積んでいき9月にはカリフォルニアの大会でベスト4、10月にはメキシコの大会で予選から出場し決勝で世界ランキング300位の選手を破りいきなり初優勝します。

この優勝によりATPランキングポイント12を獲得した錦織はATPチャレンジャーツアーの予選に出場できるまでにランキングを上げる。シーズン終盤ではチャレンジャーの2大会で本戦に出場し、本戦初勝利も手に入れた。2006年シーズン終了時点で世界ランキング603位につけておりこの時点で日本人選手10位につけており、既に日本トップ選手の一人となっていたのです。

まとめ

今回は錦織圭選手がプロに転向する前について触れました。

幼少期の頃からストイックにテニスに打ち込んでいる姿には感服いたしますよね。今後も錦織圭選手の活躍には注目ですよね。

錦織圭選手のインスタグラムも是非ともチェックしてみてくださいね。